子どもの前で夫婦喧嘩をしてしまった夜|3歳の娘の一言から考えた子どもへの影響

夫婦喧嘩は、子どもに見せない方がいい。
これは、今でも変わらない大前提だ。できることなら、子どもには安心できる空気の中で過ごしてほしいし、親の感情のぶつかり合いなんて、見せずに済むならそれが一番いいと思っている。

それでも現実には、「見せてしまった夜」を完全になくすことはできない。
先日、わが家でも、そんな夜があった。


子どもの前で夫婦喧嘩をしてしまった夜の後悔

その日の出来事は、いわゆる“いつもの夫婦喧嘩”だった。正確に言えば、喧嘩というより、わたしが一方的に感情を爆発させて、パパは黙り込み、最後は謝る。毎回ほとんど同じ形だ。

喧嘩が終わったあと、まず浮かぶのは後悔だった。
「また見せてしまった」「絶対にしたくなかったことなのに」。
子どもの前で夫婦喧嘩をしてしまったときの、この感覚。きっと、同じように感じたことがある人は少なくないと思う。

ここまで過敏になるのには、理由がある。


親の喧嘩を見て育った記憶と、消えなかった思い

わたしは、両親の喧嘩を見て育った。いわゆる昭和の夫婦関係で、父が怒り出すと家中の空気が一気に張りつめた。父は怒りを隠さない人で、些細なことでも声を荒らげる。母は言い返すことができず、ぐすぐすと泣きながら話し始め、「だって」「でも」と言葉を重ねる。そのたびに、父の怒りはさらに強くなっていった。

そんな光景を、子どもの頃から何度も見てきた。小学生の頃から喧嘩の頻度は増え、中学生の頃は特にひどかった。高校生になると、用もないのにバイト先に行き、店長や仲間たちと仲がいいふりをしながら、できるだけ家にいない理由を作っていた。

家にいたくなかった。
ただ、それだけだった。

だから自分が親になったとき、
「同じ思いだけは、絶対にさせない」
そう強く決めていた。

それなのに、子どもの前で夫婦喧嘩をしてしまった夜は、思っていた以上に、自分を責めてしまう。


繰り返される夫婦喧嘩と、娘の変化

わが家の夫婦喧嘩のきっかけは、たいてい同じだ。パパが、わたしの話を聞いていない。何か考え事をしていたり、頭の中で別の優先順位が走っていると、わたしの声が届かない。質問しても返事がなかったり、あっても適当だったりする。

わたしの質問には、いつも意味がある。その返事を前提に、次の行動や段取りを考えているからだ。だから、適当に返されると、その先に考えていたことがすべて崩れる。時間も、労力も、気力も無駄になる。

生活する中で、パパには発達特性があるのかもしれないと感じる場面が、少しずつ増えてきた。それでも、それに感情が追いつかない自分がいる。理解と感情は、いつも同じ速度では動いてくれない。

そんなやりとりを、娘は何度も見ている。以前の娘は、夫婦喧嘩が始まると、ただ泣いていた。何が起きているのかは分からなくても、空気が変わったこと、声が強くなったこと、いつもと違うパパとママの様子は、きっと感じ取っていたのだと思う。

その姿を見るたびに、「やっぱり見せてはいけなかった」と思ってきた。

でも、その夜は少し違った。
後悔はあったけれど、後悔だけで終わらなかった。


娘の一言が残したものと、夫婦喧嘩が子どもに与える影響

娘の一言で、空気が変わった瞬間

喧嘩のほとぼりが冷めたころ、娘が言った。

「ママ、パパにごめんねして」

正直なところ、投げやりに「パパごめんね」と言うと、
パパが「違うんだよ。パパが悪いんだよ」と言い直した。

それを聞いた娘は、少し間を置いて、こう言った。

「でも、怒ってごめんねは?」

その言葉で、何かが解決したわけではない。
夫婦の問題は、何も終わっていない。
ただ、その場の空気は、ほんの少し変わった気がした。

あとになって思い返して、ようやく腑に落ちた。
まだ3歳という年齢だったからこそ、夫婦喧嘩の内容を理解するというより、日常の中で身につけてきた感覚として受け取っていたのかもしれない。

娘は普段、保育園という小さな社会の中で過ごしている。怒ったら「ごめんね」をすること。そういう基本的なことを、毎日の生活の中で繰り返し経験している。

あの言葉は、判断というより、その感覚が、たまたま表に出ただけだったのだと思う。


そのあとに残った迷いと、フォローについて考えたこと

あのあと、頭の中では、いくつもの言葉が浮かんでは消えていた。
「ママ、怒ってたけど本当は怒ってないんだよ」
「さっきの涙は、悲しい涙じゃないから」
「怖かった? 大丈夫だった?」

どれも、娘を安心させたい気持ちから出てきた言葉だった。

でも同時に、それは、起きたことを少しだけ丸くして、早くこの時間を終わらせたい、という思いでもあった気がする。怒ったことも、泣いたことも、なかったことにはできないのに。

何か言わなきゃ、と思いながら、結局その夜は、あえて何も言わなかった。その言葉が、娘のためになるのか、それとも自分を楽にするためのものなのか、自分でもよく分からなかったからだ。

夫婦喧嘩のあと、子どもにどうフォローすればいいのか。
そんなことを、答えの出ないまま考え続けていた夜だった。


今回の出来事で、
「夫婦喧嘩を見せてしまった=すべてが台無しになる」
という自分の中の前提が、少し揺らいだ。

とはいえ、どうするのが本当に正解なのかは、
まだ分からないんだけど…。

夫婦喧嘩は、見せない方がいい。
それは今でも変わらない。
見せない努力は、これからも続けたい。

それでも、もし見せてしまった夜があったなら、
その一場面だけで、
「全部がダメになった」と自分を追い詰めなくてもいいのかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました